久々に劇場へ行ってきました。
前作、創世記(ジェネシス)も劇場で観てシーザーに惚れたので
これはぜひとも大スクリーンで観たかった。
名作SF『猿の惑星』の前日譚『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』の続編。
ウイルスによって滅亡状態に陥った人類と、
遺伝子の進化を経て知能や言語を得た猿たちとの対峙が思わぬ事態を引き起こしていく。
前作に引き続き、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのアンディ・サーキスがモーションキャプチャーを駆使し、猿のリーダーとなるシーザーを熱演。
その脇を『ホワイトハウス・ダウン』などのジェイソン・クラークや
『裏切りのサーカス』などのゲイリー・オールドマンが固める。
人類が衰退した世界の衝撃的なビジュアルに言葉を失う。 【シネマトゥデイより】
基本、今回の映画のあらすじはネタバレなしで。
その昔、猿の惑星といえば、特殊メイクの猿人間たちが
妙にリアルで妙に不気味でした。
しかもテレビの吹き替えで観るしかなかったので
日本語をしゃべる猿人間ってことで、子供心に
キョーレツに焼き付いた映画。
猿の惑星かと思っていたら、じつはそこはかつてのNYだった、と
自由の女神の頭が地面から付きだしたラストも衝撃的でした。
そして、
前作の創世記(ジェネシス)は、認知症の新薬開発の副産物として
高い知能をもって生まれたチンパンジーと人間との愛と苦悩を描いた感動作。
順番としては、1968年のの猿の惑星がどうしてああいうことになったか、
というストーリーが創世記(ジェネシス)なんです。
形としては、スターウォーズがエピソード1に戻ったのと似てますかね。
ただし、スターウォーズのようにジョージ・ルーカスという一人の監督で
ストーリーを完全に一つに紡いだのとは違って
あくまでオリジナル版をオマージュして、
あの設定の起源はこうだったんじゃないの?的に作られた映画のようです。
前置きが長くなりましたが、
この映画、なかなか面白かったです。
猿インフルによって、人類がほぼ壊滅状態にある地球。
「ウォーキングデッド」「レボリューションズ」「フォーリングスカイズ」
そして最近見た「生存者たち」
滅びた地球の設定は、ドラマでもいやというほど観てきました。
そして、その設定が私、さほど嫌いじゃない。
なぜかというと、文明のなくなった無政府状態の中で
人間たちがどうやって共存し、闘い、生き残っていくかという
原始的な世界の描き方が興味深いから。
共通して言えるのは、
無法地帯になった人間コミュニティでは、
かならず力あるもの、知恵あるものがリーダーとなり、
集団を統率することになるということ。
そして、それに反発する者がいつか必ず現れ、
リーダーの座を奪うべく、謀反を企てるということ。
覇権争い、領地の奪い合いというのは、人間が持って生まれた本能であり、
これほど文明が発展した現在であってもさらに行われている
人間の性なのですが。。。
新世紀(ライジング)は、それが猿もまた同じというお話でした。
「猿は猿を殺さない」
猿たちは人間みたいに殺し合ったりはしない、という
強烈な皮肉をこめた教訓だったはずが、
結局は、権力を欲して、仲間を裏切り、殺すことになってしまった。
わが陣地を守り、集団を守り、家族を守るため、
それを脅かす敵と戦うという習性は
知能を授かって生まれたものが避けて通れない道なんですね。
キャストは、ゲーリー・オールドマン以外、知らない人ばっかりで
地味でしたが、前作のジェームズ・フランコ的役割の主役の方は
なかなかいい働きをしてくれてました。
残念だったのはゲーリー・オールドマン。
悪玉なのか善玉なのかよくわからないまま、オールドマンの持ち味が
イマイチだった配役。
むしろ、彼には猿のコバの役をやってもらいたかったぐらい。
それぐらいコバは悪役を熱演でした。
人間なら助演男優賞もの。
そしてシーザー
あいかわらず、愛すべきシーザーでした。
今回は守らねばならない家族がいて、いっそう素晴らしい人格者
(猿格者?)になっていた。
ジェームズ・フランコの出演は、ビデオカメラのちっちゃい画面のみだったけど、
シーザーの心には彼との濃密な時間がしっかりと焼き付いている。
感動の場面です。
ラストはシーザーが人間のマルコムに、
猿は人間に戦をしかけてしまった。
それを人間は絶対に許すはずがない。
戦の始まりだ。。。。的なことを言ってました。
これが、ゆくゆくは1968年の服を着た猿人間の映画につながるんですね。
ってことは、そのあいだにあといくつか段階となる映画があるはず。
次はシーザーの息子、ブルーアイズが大人に成長して
活躍するんだろうな~。
そんなに遠くない日の続編を期待します。
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猿の惑星:新世紀(ライジング)を観た
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